下鴨古本市


去年に続き、今年も訪れた。
ちなみに前日に『夜は短し歩けよ乙女』を読むとより楽しい(ここが舞台の章があるため)。去年この古本市を訪れたのも、その本がきっかけだった。


生い茂る木々の間を吹き抜ける夏風に、店頭にめぐらされた紅白の布と森の緑のコントラスト。
やはり雰囲気の良い古本市である。


この時期だけあって暑さは厳しい。
ただ暑さのピークを避けて遅い時間帯に訪れたことと、森の中ということもあって、比較的過ごしやすかった。


すべての店の本をくまなく見ていこうと思ったら、1日ではとても足りない。
遅い時間だったこともあり、見回ることが出来たのは1部のお店だけ。
それでも普段は見かけないような本を色々眺めることが出来、とても楽しかった。


毛氈敷きの台に腰掛けて、蝉時雨の中でカキ氷を味わっていると、しみじみと夏を感じた。
ちょっと懐かしいような、子供の頃の田舎で過ごした夏休みを思い出すような。
出来れば来年の夏もまた、訪れてみたいと思う。

 崖の上のポニョ

魚の女の子が、好きな男の子と一緒にいたいと人間の世界へやってくる物語。
公開されてあまり経っていないので詳細は控えるが、結構シンプルなストーリーだな、と思った。子供向けというのには納得。
また、色彩の柔らかな綺麗さが印象的だった。あとは、


・最初「じ、人面魚…?」と思えたポニョがだんだん可愛く見える不思議
・ポニョの妹の群れは夢に出そう
・嵐の場面が一部ホラー
・ラーメンがやたら美味しそう
・5歳児の「好き」って恋なんだか友情なんだかそのどれでもないのか、わからん
・母は偉大
・主題歌が耳から離れない


あまり深く考えず、子供に返ったような気持ちで見ると楽しめた。


こちらは予告編

 SPIRIT

アップテンポなメロディで、夏のドライブ中に流すと気持ち良さそうな爽やかな曲。


勇気を出して新しい場所に飛び込んでいこうとしているような、割と前向きな「ぼく」の心情が綴られている。明るいメロディもあいまって、聴いているこちらも顔をあげて口ずさみたくなるような感じ。


「夏のかわいた風が ふきぬけると 
 てれくさいくらいガムシャラな気持ちにもどるんだ」
のあたりでは、本当に夏の風が飛び込んでくるような爽快感もあり、盛り上がりは申し分ない。


しかし聴く人をただ鼓舞するだけの曲でもなく、ちょっぴり弱気なフレーズもある。
「相変わらず ぼくはしょうもないことで おじけづいたりしてる」
「きっと 全てがうまくいくと 思いながら 
 つまづいたり 時々うまくごまかしたりしてる」
など。自分もかなりこういうところがあるので、共感してしまう。


それでも、「悪い予感は全部かきあつめて 今はただポケットにムリヤリ押しこむんだ」と一歩を踏み出す「ぼく」。新しく何かを始めたい、これから少し頑張ってみたい、そんな時に聴くと印象もひときわ強いかもしれない。


こちらで視聴可能。

 8月のセレナーデ

淡々としているが清涼感のある綺麗なメロディに、気の向くままに口ずさんだ独り言のような歌詞。夏の夜のBGMによく合う一曲。


「君」は多分「ぼく」の恋人だろうけれど、それにしては少々ドライである。
「もしも君がいなくなってしまったら たとえばネコやイモムシになってしまったら 
 メソメソと泣くよ でもそのうち 都合のいいネタにしてしまうかも」とか
「もしも君と友達になっていたら … ぼくは涼しい顔で 利用するだけして
 ゴミ箱に捨ててしまう」とか、サラリと歌われているが、よく聞くとブラックだ。


同時に、それでもまあ、うまくやって行こうか…なんて、曖昧にやり過ごそうとしているような雰囲気も漂う。ちょっとずるくて生々しい感じのラブソングである。


「ねえだから今日は そういつもより 長い電話をしよう
 なんとなく君に 後ろめたいから やさしくふるまっておこう」
「ねえだから今日は 散歩に行こう …
 月の光で たいていのことは 美しく見えるから」
このあたりの言葉のセンスがまた、いいなと思う。「君」との微妙な関係性もうかがい知れるし、曲を美しく締めくくっている印象である。


こちらで視聴可能。

 7月 (『心の家路』収録)


ある大学生の恋愛の始まりと終わりと、その後のお話。毎年今の時期になると読み返したくなる。
主人公と彼女が付き合うまでの経緯など、実際にありそうな感じのラブストーリーである。


漫画家を目指す主人公と女優を目指す彼女は、1回生の秋に付き合い始めるのだが、幸せな時間の中でいつしかすれ違いや不満も生まれてくる。そして互いに夢と現実の間で悩み、焦り始めた3回生の夏、ちょっとした言い争いから別れてしまう。


「なんでいつもおればかり 慰めなきゃならないんだ」
「やさしくして やさしくしてよ」
「つきあってるのに 彼女なのに おれの事好きだって言ったじゃないか」
「なんで やさしくしてくれないの?」
このあたりのモノローグは主人公と彼女の思いが交互に描かれているのだけれど、どうにもならない上手くいかなさが伝わってきてなんだか切ない。


ただそこで終わりではなく、数年後に2人が再会するところまで物語は続く。
別れてからも主人公の言葉に励まされていたことを話し、主人公に優しく出来なかったことを後悔して泣く彼女と、それを見つめる主人公の眼差しにじんとした。


また何かが始まるのか、それともようやく過去の恋にケジメをつけられたのかはあいまいなまま終わるのだけれど、優しい読後感が残る。
傷つけてしまったり、優しくできなかったりで別れてしまった相手と、こんな風に再会できることは現実には多くないと思う。しかしそういう経験がある人ならよけい、心に染みる物語かもしれない。

 恋文の技術 (「asta*」隔月連載)

書簡形式で書かれた小説。
主人公守田一郎、その友人や先輩たち、妹、知人の森見登美彦氏、意中の女性…登場人物はやや多いが、彼らはあくまで手紙を通して現れる。
登場人物のキャラクターや人間関係、起こった事件などが徐々に伝わってきて、物語としての文章(手紙ではない地の文章?というか)はないのに、ストーリーらしきものが味わえるところが面白い。


長い間公式ブログで冒頭の一部のみ読んでいたのだが、少し前にようやく掲載誌を入手できたため全部読んでみると、想像以上に笑えた。途中から読み始めたので、よく分からない部分もあるにも関わらず。


たとえば6月号、守田一郎が苦心惨憺して様々な文体・文章をひねり出して恋文を書くという試み。どの恋文も、もし本当にこんな手紙をもらったら女性の十中八九は通報、残りは優しさゆえに見なかったフリをするだろうと思った(最後のややまともな恋文のぞく)。


なかでも、もっとくだけた感じがいいのでは?と思いついて書いた恋文には吹いた。そこはかとなく80年代の香りも漂う、腹立つのに脱力感あふれる文章。
『きつねのはなし』(シリアス)を書いた人が同じ手で書いたとは信じられないくらい可笑しい。落ち込んでいる時に読んだら一瞬そのことを忘れられたほどである。


がぜん今後が楽しみになっていたのだが、公式ブログによれば残り1回で終わりらしい。かなり残念だけれど、単行本でまとめて読むのを心待ちにしている。

 サヨナラ

乾いた感じの、どちらかというと淡々としたメロディ。
にも関わらず、聞いていると妙に胸を締め付ける切なさがある曲。


互いに冷めてしまったことに気づかないフリを続けた挙句、ついに別れに踏み切る恋人同士のような状況が歌詞から浮かぶ。
それでいてまだ決心がつきかねるような。
そんな「ぼく」が自らを後押しするかのように「明日 サヨナラ」と繰り返す。


そして別れを告げる側の「ぼく」が抱える後ろめたさは意味深でもあり、分かるような感じもあり。たとえば、
「ちょっと勇気がいるよ バツの悪い言葉で 君にお別れを言うよ」
「ぼくのこと 世界中に悪く言ってもいいよ」。
あいまいな別れの予感を感じながら、言葉にすることをさけていた二人。そこへ「ぼく」がはっきり別れと切り出すことへの罪悪感だろうか。


「“ねぇ どれかひとつ あきらめたら ぼくらうまくいくかなぁ…”
  ずぶ濡れの心は 迷っていた そうずっと… 」
何かがほんの少し違えばうまくいったかもしれないこと、別れに迷いがあった「ぼく」の心境もほのめかされる。でも続く歌詞はやはり、
「だけど 君と 明日 サヨナラ」。


断片的な歌詞から、聞いているとつい、自分自身の別れにダブらせてしまう。
やけに切ない、やりきれない感じが強く印象に残るのはそのせいかもしれない。


こちらで視聴可能。